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NHK纪录片解说词 之《故宫至宝》 第一集 至高的造型_青铜

NHK纪录片解说词 之《故宫至宝》 第一集 至高的造型_青铜

哈哈,居然将这套纪录片总共二十六集的解说词都整理完了,对于一向没恒心没毅力的我来说,还真是可喜可贺啊。发出来作个纪念吧,今天先发第一集。



第一集:至高的造型_青铜



一:

召卣、高さ30センチ、

今からおよそ3000年前に作られた青銅器です。

「召」とは人の名前、「卣」とは蓋と取っ手のついた酒の壺を意味します。

この器は黍(百合の根)で作られた酒を入れ、祖先を祭る祭祀に用いられたといいです。

器の中央には魔除けの怪獣饕餮の姿があります。

器全体を覆う雲雷紋。饕餮の目や口が浮き彫りにされています。

取っ手にあしらわれた竜と鹿の頭。

青銅器は銅と錫を高温で溶かし、鋳型に流し込んで作られます。

重厚な造形

中国の青銅器は世界でも類例を見ない美術工芸の極致だと言われます。



はるか古の時代に、なぜこのような優れた作品が生まれたのでしょうか?

今からおよそ4000年前、黄河の中流域で青銅器は生まれました。青銅器の出現は世界を根底から揺さぶりました。青銅の農具や武器が作られたのです。農業の生産は増大し、戦争はその規模を拡大しました。やがて国の力が強大なものとなり、歴史は大きく動いてゆきました。



白陶鬲、高さ33センチ、今からおよそ5000年前、新石器時代に作られた陶器です。器には煮炊きをするための三本の足がついています。青銅器はこうした陶器の形を真似て作られました。



獣面紋鬲、高さ23センチ、今からおよそ3500年前の青銅器です。エジプトなど他の古代文明では、青銅は主に武器として使われました。

しかし中国では、青銅器は煮炊きをする器から祭祀のための器へと変わっていきました。

中国の青銅器はほかの文明と大きく異なる独自の発展を遂げることになります。



河南省安陽市、ここに古代国家殷の都が置かれていました。

青銅器が全盛を迎えたのは殷の時代の後期、紀元前およそ1200年ごろとされています。

今世紀初め、殷の王墓の発掘調査が行われました。この調査によって、それまで謎とされてきた殷の時代が明らかになりました。

王の棺の周りには生けにげとなった人々が埋葬されていました。墓からは200件を超える青銅器が出土しました。



戊父乙方鼎、高さ27センチ、

殷の王墓から出土した青銅器と同じ形をした鼎です。鼎はもともと煮炊きをするための器でしたが、殷も後期になると、生けにげの動物などを入れる祭器として使われました。

これは絵文字で、生けにげの首を大きな斧で切る儀式を表しています。殷はすべての祭りをとおう、天の神に委ね、占いによって国家を治める神政国家でした。人々は事ある毎に祭祀を行い、神に答えを求めました。この神聖な儀式に用いられたのが青銅器でした。

獣面紋爵、高さ17センチ、青銅器で作られた酒付きです。三本の足は酒を温めるためのものです。祭毎にはかならず酒が供されました。人々は酒を飲むことで恍惚状態となり、神と一体になることができると考えたのです。器には厳めしい獣の顔が鋳込まれています。殷の時代、青銅器の大半は酒の器でした。

矢壺、高さ35センチ、神に捧げる酒を入れる器です。この文様は魔除けの怪獣饕餮です。饕餮は目と鼻だけを突き出し、器の表面は細かい柚巻型の雲雷紋で埋め尽くされています。

隙間をつくることを許さないかのような緊迫感を漂う文様は神に対する絶対的な信仰心を表しています。饕餮は悪霊をも食べてしまうという怪獣でした。殷の人々は饕餮を青銅器に鋳込み、その力を借りて悪霊から逃れることを願ったのです。

犠首乳丁紋罍、高さ38センチ、罍とは張り出した型を持つ大きな酒の器を意味します。これは乳首を模った乳丁紋と呼ばれる突起です。器の肩には羊の頭があしらわれています。この時代、青銅は金と呼ばれていました。銅と錫で作られる青銅器は出来上がった当初、金色に輝いたのです。殷の人々は燦然と輝く青銅器に魅了されました。

祖乙尊 高さ35センチ、神に捧げる酒の器です。

見るものに、畏怖の念さえ抱かせる重厚な造形です。中央部には大きな饕餮が鋳込まれています。饕餮の目や鼻は高く盛り上がり、角や牙は力強く突き出ています。大胆な美の表現です。

殷の晩期、青銅器の美しさは一つの頂点を極めました。



それは世界に類例の見ない美の世界です。しかし、紀元前1000年ごろ、神にすべて委ねた国「殷」は滅びました。神政国家殷を倒したのは周です。



ニ:



周は遊牧民から興り、やがて定着して農耕を営んでいました。勤勉で穏やかな人々だったといえます。殷から周へ、時代は大きく変わり、それにつれて、青銅器の役割も変わってゆきました。

宗周鐘、高さ66センチ、周の王が異民族を制圧した記念に作らせた鐘です。周の王が残した数少ない青銅器のひとつです。こうした金が八個から22個組み合わされて編鐘という楽器になります。編鐘の鐘出る音楽は天や祖先を祭る重要な儀式に欠かせないものでした。

周は礼と秩序を重んじる国でした。祭祀の式次第が事細かに決められ、金で出られる音楽も定められていました。この時代、青銅器が世界の秩序を保つという役割をも担うようになりました。

散氏盤、直径55センチ、盤とは、祭祀に使う清めの水を入れる器です。器の周りには饕餮の文様が刻まれています。しかし、殷の時代のおどろおどろしい雰囲気は影を潜めています。周の青銅器には文章が鋳込まれるようになりました。器の底には375文字の銘文が刻まれています。この銘文は散国と隣の国の間で土地争いがあった。周の大公が間に立ち、和議を結ばせた。互いに遵守せよと記されています。散氏盤は紛争を避け、平和を保つために作られたのです。

毛公鼎、高さ54センチ、重さ35キロ、この鼎には現存する青銅器の中で、もっとも長い銘文が記されています。器の内側に刻まれた497文字。この銘文には天下の動向を明察して、世の善意に揺るぎなくことを旨とせよと記されています。毛公という家臣が周の命令を受けて 国の乱れを解決しました。この鼎はそれを記念して作られたのです。

遺叔吉父盨、高さ13㎝、米や粟などの穀物を盛るための器です。周の時代には、祖先を祭り、子孫の繁栄を願うための青銅器も作られました。この器もそうした青銅器の一つです。器の底には15の文字も刻まれています。父が娘を嫁がせる時、この道具を持たせる。孫子の代まで、加護とせよ。この器は嫁入り道具として作られたものでした。この青銅器からは周という秩序ある国に生きた人々の暮らしを垣間見ることができます。





三:

やがて時代は春秋戦国へ移りました。周王朝の力が弱まり、多くの国は群雄割拠した乱戦の時代です。社会秩序は乱れ、下剋上の世の中になりました。

嵌松緑石金属糸犠尊、高さ25センチ。

牛を模った酒の容器です。背中には金の象眼が施されています。春秋戦国時代になると、青銅器に煌びやかな装飾が目立つようになります。

青銅器に親しみやすい美しさが求められるようになったのです。頭を飾る青い装飾はトルコ石です。周の時代には見られなかった新しい青銅器の誕生です。



蟠螭亀魚紋方盤、長さ73センチ、幅45センチ、

器の足にはトラの姿があしらわれています、歯を食いしばり、必死に器を支える表情が生き生きと映し出されています。虎の上に飾られている動物は一角獣と小羊です。小羊の首は怪獣の胸にのる、乳を飲んでいるかのようです。鳥の嘴と翼を持つ潅頭という伝説上の怪獣の姿もあります。この器には神話と伝説の世界が広がっています。

器の底にはもう一つの手工が凝らされています。魚が浮き彫りにされ、その周りを蛇のような怪獣が埋めリながら連ねています。水と満たすと、水の揺らぎにつれて魚が泳いでいるように見えるといいます。



蓮鶴方壺、高さ122センチ、春秋戦国時代を代表する傑作です。器の頂には、いまにもらんばかり鶴の姿があります。その鶴を大きく開いた蓮の花が包み込んでいます。銅の部分には虎や竜などの装飾が施されています。この青銅器も作られた当初は金色に燦然と輝いたのです。絢爛豪華な美しさです。春秋戦国時代、青銅器は殷の時代に次ぐ第二の黄金期を迎えました。

重厚で神秘的な殷の青銅器、静かで優美な周の青銅器、そして豪華絢爛たる春秋戦国の青銅器、古代にあって、青銅器は絶えず至高の造形であり続けました。やがて鉄が現れ、青銅器の時代は終りを告げました。しかし、青銅器はその後も中華文明の宝として重んじられ、歴代王朝に受け継がれていくことになるのです。

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发表于 6 天前


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